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LastUpdate 2016/09/16

プリンスルート登山レポート

登山日
プラン一泊二日
天候一日目 晴れ時々曇り
二日目 晴れのち曇りのち
投稿者TAKAさん 50代 男性
人数2名(40代前半 女性)
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TAKAさんによる、富士宮口五合目からの登山レポート。

初心者中年カップルの初富士登山

0:まえがき

40代半ばまでラグビーをやっていたが、今はたまの散歩程度。ジョギングすれば古傷のヒザが痛み、体力の減退が著しい今日この頃。

バイク好きで、富士五湖や箱根、伊豆にはおそらく何百回も行っており、子供の頃から当たり前に富士山をいつも見てはいたが、登ろうなど考えた事は一度たりとも無かった。それが何故か昨年、こんなに近いんだから、日本男児たるもの一度くらい登っておかねば、それも元気なうちに!と思い立つも、7~8月しか登れない事を知る。

最愛のパートナーに「富士山に登ろうと思っているんだけど・・」と言うと、なぜか興味津々。今年の7月初旬、出かけたついでに登山用品店に寄り、安めの登山靴だけを、まずは二人で購入。よし!これで富士山に登れるぞ、とばかりに、翌日、宮ヶ瀬湖周辺をハイキング。

1:練習登山

おそらく登山好きの方から見れば、ほんのハイキング程度のコースだが、斜面を15分登っただけで息切れし、「何でこんな事始めたんだろう・・・」と少し後悔する。パートナーも、ヒルの出現で大騒ぎの連続。

しかし、2時間後に山を下り、沢の冷たい水の中に足を入れた時の心地よさは、何とも言えないものがあった。

これに味を占め、さらに翌週は、1時間で行ける大山に練習登山。練習なので、バイク用のザックに2ℓのペットボトル2本とタオル、一眼レフカメラ、おやつ(行動食と言うらしい)、おにぎりなどを入れ、意気揚々と出発。しかし・・・

30分で見事に二人共にダウン寸前。下社の売店のオバチャンに最後の階段で抜かれ、水をご馳走になる始末。何とか頂上にたどり着くも、既にくたびれ果てた状態であった。いくら猛暑日とはいえ、真夏の登山とはこんなにも面白くないものなのか・・・それとも、ただ体力が無いだけなのか・・・

筋肉痛が1週間後まで残ったのは、言うまでも無い。我が家の階段に手摺が無いことを、初めて恨めしく思った。

こんな事では富士山に登頂できない!
そこで7月最後の日曜日、2回目の大山練習登山を決行。同じルートはつまらないという事で、今回は日向ふれあい学習センターから登る。前回の教訓から、あえてゆっくりペースで登り始める。しかし、杉斜面を登り始めて20分もすると、息はゼーゼーハァハァ。すぐに休憩したくなる有様である。

でも、今日は何かが違う!
意識的にペースを落とすと、息が上がる手前で歩き続けられるところがあるのに気が付いた。ラグビー好きでバイク馬鹿は、ペース配分というものを知らなかった。スタートしたら、いつでもどこでも全開だった。

元陸上部の彼女はと言えば、ちょっとペースを落とすと、楽しそうに話しかけながら後ろを付いてくる。もう20年も運動とは無縁らしいが、さすが元中距離選手である。華奢な身体なので、もしかしたら付いてこられないかも?と思ったりしたが、気が付けば私がお荷物になっていた。

何となく何かが分かりかけた頃、山頂に到着。しかし一番の問題は、下山だった。階段や段差の多い大山の下りは、酷くヒザに負担が掛かる。靭帯を2本切り、半月板が砕けて2度手術したヒザが痛むのだ。とにかく下りはゆっくりしたペースで、できるだけヒザに負担が掛からないように下りる。

富士登山の参考にと、コースタイムを記録したが、登りはゆっくりペースでも標準と大差ないが、下りは概ね1.5倍の時間が掛かっていた。

2:登山計画

何としても今年中にチャレンジしたい!
天気予報や仕事都合も考え、8月の26~27日とした。ルートは、富士宮口往復のプリンスルート。なぜこのコースにしたかって?それは『富士さんぽ』のサイトを参考に、一番初心者でも登りやすく、ヒザに負担が掛からないだろうと判断したからである。

素人中年カップルの初富士登山において、一番参考にしたサイトが当サイト(富士さんぽ)であるのは間違いない。本当に、お世話になりました。

二日間のタイムスケジュールも余裕を持たせて作り、仕事も調整したので、後は装備の確認だけである。

3:装備

持っている登山用品はと言えば、先月購入した登山靴と靴下だけである。しかし、ある程度揃えようと思うと、結構な金額になる事が判明。そこで、優先順位を決めて、合羽とゲイター、登山ズボンだけは登山洋品店で購入する。

残りの必要な装備は、本格的に登山が趣味になったら購入すれば良いと割り切り、安物をアマゾンでポチッと購入。ザック、ザックカバー、ヘッドランプ、トレッキングポール等である。

手袋や帽子、防寒着などは、あるもので賄うこととする。それでも足りないものは100均で調達し、飲み物はスーパーで購入。準備万端、なハズである。

4:登山口まで

8月26日、午前4時に神奈川県某所を出発。圏央道から東名御殿場経由で、水ヶ塚駐車場に5時20分到着。6時のバスに乗るべく、彼女は着替え、私はザックに荷物を入れ始める。が、これが上手く行かない。思いの他入らないのだ。何事も初めてとは、得てしてこんなものだろうか。

無くても何とかなりそうな、例えば余分な着替え等は、どんどん取り出す。最低限必要な合羽、ゲイター、替えTシャツ、防寒具と食料(おにぎり・飴・ワッフル・コーヒー)、そして一番かさばり一番重い飲み物(2ℓ×3本、650cc×2本)を、何とか詰め込む。

直ぐに取り出したいタバコや財布などは、彼女のウェストポーチに、何としても持っていきたい一眼レフは私のウェストポーチにやっと収め、いざ出発。

乗客が多い為か、15分間隔になったシャトルバスの6時15分発に何とか乗り込む。予定より15分遅れだが、まずは合格点か。「ねえ、オレの携帯知らない?」「知らないよ。」「あっ・・・!」

「すいませ~ん。忘れ物したので、降りま~す。」満席になったバスを、ザックを持って何とか降りる。はぁ~、先が思いやられるなぁ。
結局、6時半出発のバスに乗り、7時に富士宮口五合目レストハウスに到着した。

5:登山開始

富士登山の教科書である『富士さんぽ』によると、身体を高度に慣らすために1時間程度は五合目に留まるのが良い、と記載されている。フムフム、なるほど。という事で、1杯のうどんを半分ずつ食べ、トイレに行き、晴れ渡った景色を眺めて時間を潰す。

レストハウスから駿河湾を見下ろすだけで、もう随分と高い場所にいる事が実感できる。見ているだけで気分も高まってくる。しかし、気になることが1点。なぜか昨日から、胃の調子がよろしくないのだ。うどんを食べた後も、心なしかチクチク痛む。念のために持参した「ガスター10」を1錠飲んでおく。

8時になったので、一服した後、予定より20分遅れで出発する。

6:宝永火口

写真で見た「富士山表口五合目 標高2400M」の標識前で、まずは記念写真。余裕である。一眼レフは、いちいち取り出すのが面倒臭いので、小型のデジカメを彼女のウェストポーチに入れており、それで撮影。

歩き始めると、いきなりキライな階段が現れる。しかし、少し歩くと程なくして雲海荘が見えてくる。もう六合目である。もしかして、この程度の距離をあと4回歩くと頂上なのか?それが大きな間違いであることは、直ぐに思い知らされるのだが。

雲海荘を過ぎ、富士宮登山道には行かず、宝永山ルートを直進し、しばらく歩くと、眼下に巨大な宝永火口が見えてきた。もしかしたら、ここは火星か月面なのか、と思わせるような、不思議な景色である。遠くに折れ曲がった登山道も見えるが、人がほとんど見えないので、その巨大さが良く分からない。

宝永第一火口縁に着くと、一組のカップルが写真を撮っていたので、カメラを取り出し、お互いに記念写真を撮り合う。一眼も取り出し、巨大な宝永火口をカメラに収める。すっかりテンションが高くなる。しばらく時間を潰した後、出発する。

『プリンスルート攻略のコツは、宝永第一火口から宝永山馬の背までの滑りやすい砂礫の登り斜面で、いかに体力の消耗を防ぐかです。』

はい先生!しっかり頭に叩き込んであります!
火口まで降り、登りに入ると、その巨大さを実感する。しかも、足場が想像以上に悪いので、登り難いことこの上ない。その上、何故だか胃の調子が悪くなってきた。ゼーゼーハーハーしながら歩いていると、胃がムカついてくるのだ。

気持ち悪い・・・ゲップが出そうだ。しかも、なんだか頭まで痛くなってきたぞ。もしかして、もう高山病になってしまったのか・・・今吐いたら、スッキリしそうだなぁ~

そんな事を考えながら、ゆっくり、とにかくゆっくりと一歩ずつ、歩幅を狭めて登っていく。それでも先ほどのカップルとの差は、ほとんど変わらない。よし、次はあの大きな石で一休みだ、そう言い聞かせながら歩く。

ゲプッ!大きなゲップが出た。本当に吐くかと思った。でも吐かずに、少し楽になった。またゲップが出た。また少し楽になった。そんな事を4、5回繰り返すうちに、気持ち悪さは治り、楽になった。

そして、やっと右への折り返し地点に着いた。先のカップルは折り返し地点で休憩している。私達も立ち止まり、大きく深呼吸をする。ザックに差し込んであるペットボトルを取り出し、水分の補給だ。そして行き先を見る。うわっ!さらに傾斜がきついぞ。もしかして富士山は、これがずっと続くのか・・・

『いかに体力の消耗を防ぐか!』その言葉が、頭の中でリフレインしている。歩幅を狭く、一歩ずつゆっくりと。そう言い聞かせながら登っていく。呼吸は、ジョギングの時のように鼻から2回吸う。2回目は奥まで強く吸い込むようにし、口からゆっくりと吐き出す。これが良いのか悪いのかは分からないが、酸素をより多く取り込んでいる気がして、苦しいところではこの呼吸法を繰り返す。

足は、踏み出した足を地面に着けた後、一呼吸置いてから体重を乗せ、逆足を踏み出す。そうすると、滑ることが極端に少なくなり、呼吸も簡単には上がらない気がして、この歩き方でゆっくりと登っていく。

途中、何度も立ち止まり、水分補給をしながら、左への折り返しを過ぎると、やがて平らな部分が見えてきた。あれが宝永山馬の背か?10時に馬の背到着。
やったぁ~!登りきったぞぉ~!ザックを降ろし、石の上に座って、しばしの休憩。

意識的にゆっくり登ったにも関わらず、予定時刻とさほど変わらない。まあ、スケジュールに予め余裕を持たせてはいるのだが。

天気も良く、雄大な展望をしばらく楽しんだ。既に、ちょっとした達成感も味わった。宝永山は帰りに寄ることにして、水分補給した後、10時20分に出発する。

7:御殿場ルート合流

サイトで見たものと全く同じ道標(当たり前か・・)が指す『御殿場口六合目』に向かい、歩き出す。右下に御殿場口が見える。今年の6月初旬、山中湖から富士山外周を彼女を乗せてバイクで1周する際、御殿場登山口の駐車場にフラッと立ち寄ったことがあった。駐車場はガラガラだったが、天気も良く、登山道を歩く人の姿が見えた。その時初めて、富士山の登山道を意識した。

あれから僅か2ヶ月ちょっと、今は自分で登山道を登っている。なんだか不思議な気がした。

16歳でバイクの免許を取り、富士スバルラインは何度も走った。五合目の駐車場で、皆で撮った写真がどこかにあった。皮ジャンを着て、ヘルメットを脱ぐとクシで髪形を整え、意味も無く斜に構えた写真だ。人生の先生は、矢沢永吉だった。聞くところによると、エーちゃんのコンサート会場には、すっかりリーゼントに出来なくなった頭のオッサンたちが、沢山いるようだ。たまには行ってみようかなぁ~。

いやいや、今はそんな話はどうでもいい。とにかく御殿場口を見ながら歩いていると、急に白いモヤが御殿場口方向から上がってきた。そして直ぐに、真っ白な世界になった。富士山の天気は変わりやすい、というのは、こういうことなのか・・・

あっ、先生が下山道と合流したら右に寄れと言っていたな。視界10mの中、富士山頂プリンスルートの標識を発見。残念ながら、標識はサイトの写真と変わっている気はしなかった。この辺りでまた、先生の言いつけ通りに振り返るが、真っ白な世界が広がるだけで、宝永山の姿はどこにも無かった。

しばらく歩き御殿場ルートと合流すると、若い群馬のカップルと第一遭遇。歳の頃は20代前半だろうか。私の末っ子と同年代だろう。少年は黄色の帽子を被り、息も切らさず平然と立って待っている。どう見ても体育会系である。対して少女の方はと言えば、10m下で両ヒザに手を当て、ゼーゼー言っているのが見て取れる。運動部とは無縁で育ってきた感じだ。

合流してから私たちは、彼らの10m後ろを歩き出した。彼女がゼーゼー言いながら立ち止まると私たちが追い抜く。私がゼーゼー言いながら休んでいると彼らが追い越す。しばらくそんな繰り返しであった。

8:七合目

やがて山小屋に到着する。時間は11時40分。何館だったか既に記憶が無いが、わらじ館だったと思う。外にビールケースとスノボの板で作ったベンチが幾つかあった。そのベンチに腰を下ろし、ザックを降ろして休憩する。持参したおにぎりを食べた。疲れているからか、食欲は無かった。

隣のベンチには、少し前に凄い勢いで抜いていった少年二人がいた。「今、部活終わって、そのまま来ました!」といった格好で、金剛杖以外の装備は一切無し。半袖Tシャツで腹を出し、大の字になって眠いと言っていたかと思えば、腹減った、ともう一人が言っていた。ピンクのナイキのシューズが何故だか眩しかった。若さって、素晴らしい!久しぶりにそう思った。

しかし、上手がいた。どう見ても高校生の少年二人組だ。友達と街中で遊ぶような普段着で、装備などというものは一切なし。スニーカーにズボン、半袖Tシャツで、杖も軍手すらも無い。少し前にへたり込んでいるところを抜いてきたが、休憩している私達の前を、これまた凄い勢いで通り過ぎていった。

25分休憩し、12時5分に出発する。直ぐにまた山小屋が現れたが、出発して間もないので素通りである。高校生風の二人組は、ここで休憩していた。群馬のカップルも、同様に休憩していた。

この辺りから、空気が薄いせいか、息がすぐに上がるような気がしてきた。後ろで彼女が「ゆっくり、ゆっくり」と声を掛けてくれる。今ではすっかり私がお荷物になっている。彼女に勝っているのは、ザックの重さと年齢だけだ。

後ろを振り返り、「楽しい?」と聞くと、「うん、凄く楽しいよ♪」と、ニッコリ笑って答えてくれる。その時、ハッと気が付いた。本当は、自分が富士山の頂上に行きたいのではなくて、彼女を頂上まで無事に連れて行くのが自分の役目なんだ、と。頂上に立って、ニッコリと笑う彼女の笑顔が見たいんだ、と。

そんな事を考えると、つい涙が出てきそうになった。しかし、水分は全て汗に変わってしまったようで、残念ながら、涙は一滴も出てこなかった。

宝永火口のアリ地獄のように、歩幅を狭くして、踏み出した足を一呼吸置いてから踏みしめて、とにかくゆっくりと登り続けた。案の定、大学生風の二人と高校生風の二人は、風のように抜いていった。群馬のカップルは、息が上がって休んでいると、少し下で登ってくる姿が見えた。少年が、前後にザックを二つ抱えている。歩いては彼女を待ち、また歩いては彼女を待ち、を繰り返していた。

天気は、相変わらずガスの中で白い景色だが、時折うっすらと日が差す時、肩に太陽の温もりを感じた。

15分歩いては立ち止まり、息を整えて水分を補給する、そんな事を何度繰り返しただろうか。やっと白いガスの中から山小屋が見えてきた。赤岩八合館である。

9:八合目

赤岩八合館に午後1時50分に到着した。七合目からの予定時間を大幅に過ぎていたが、そんなことは大して気にならなかった。持参した水を沸かしてもらい、コーヒーを入れた。少し肌寒くなっていたので、インスタントだがやけに美味しく感じた。糖分を取ろうと、持参したワッフルを二人で食べた。下界は、相変わらずガスの中だったが、八合目から上には、雲はほとんど無かった。

休憩中、彼女がザックからラグビージャージを取り出した。ジャパンレプリカである。背番号は、二人共に『6』。これを着て頂上に立ちたいから、ここから着ていこう、という彼女の提案だった。

昨年のラグビーワールドカップでのジャパンの活躍は、まだ記憶に新しい。その口火を切る開幕戦の南アフリカとの試合を生で見て、日本中のラグビー経験者のオジサン達が夜中に泣いたことは、間違いないだろう。何をかくそう、私もその一人で、夜中に一人、声を上げて泣いてしまった。こんな日が来るとは・・・こんな試合を見れるとは・・・

彼女は、私の勧めで初めてラグビーの試合をテレビで見たのが、例の南アフリカ戦だった。それ以来、すっかりラグビーファンになり、トップリーグの試合、サンウルブズの試合を会場まで足を運んで応援するようになった。そんな彼女のリクエストが、二人でジャージを着て富士山の頂上に立つことだった。

それを実現するため、赤岩八合館でTシャツの上にジャージを着ると、すぐにそれに食いついてくる男がいた。赤岩八合館で働く一人の青年だ。「あっ、ラグビーのジャージですね。オレもラグビー部だったんですよ。」

店で何も買っていないが、人懐っこく話しかけてくれた。「この6番、誰だか分かるか?」「う~~ん、分かりません。」「なんだオマエ、大してファンじゃないな(笑)」そんなやり取りで、和ませてくれた。さて、管理人様は分かるだろうか・・・?直ぐに誰なのか分かる人は、相当な好き者に違いない。

そうこうしていると、群馬のカップルがやってきた。彼女は疲労困憊の様子で、私達の隣に座り込んだが、少年の方は、まだ元気いっぱいである。
「ここから上は、ザックと一緒に彼氏に背負ってもらえばいいよ。」と言うと、「そうするとお金が掛かるって言うんですよぉ。」と、笑いながら答える。「今度は、ディズニーランドとかに連れて行ってもらいな。」⇒「言ってくださいよぉ。」
こんなやり取りをしばらくしていると、少年が身軽な格好で店内から出てきた。

「今日はここに泊まるんで、俺一人でちょっと上まで言ってきます。」と言うと、
嬉しそうに走って登山道を登っていった。早く頂上に行きたくて仕方が無い、といった様子だ。若いって素晴らしい!再度、そう思った。

さて、おじさん達も出発だ。ラグビー兄ちゃんに、あとどれ位の時間が掛かるのか聞くと、「1時間半くらいですよ」。じゃあ、2時間を目標にゆっくり行こう!

10:登頂

午後2時15分、赤岩八合館を出発する。気分も和み、宝永火口の時の気持ち悪さもすっかり無くなり、ヤル気マンマンである。しかし、何故だか息がすぐに上がってしまう。空気が薄いからなのか、疲れているからなのか、初めての富士登山なので分からないが、とにかく直ぐに息が上がる。おまけに、息が上がるとなかなか収まらない。なので、宝永火口の時の牛歩戦術を実行する。

息を2回続けて深く吸い込み、歩幅は狭く、とにかくゆっくり登る。少し歩いては止まり、水分を補給しながら息を整える、その繰り返しだ。しばらく歩き、傾斜がゆるくなった右カーブを抜けると、視界が一気に広がった。

大きな斜面にジグザグした登山道が上までつながって見える。その先に頂上があるのだろうか。しかし、大きなその斜面の下に立ち上を見上げると、少しばかり気が遠くなった。今からこれを登るのか・・・

後ろから彼女が、「ゆっくりだよ、ゆっくりでいいよ。」と声を掛けてくれる。今ではすっかり専属の山岳ガイドである。「はい先生!言いつけ通りにゆっくり歩きます。」心の中で、そうつぶやく。

この斜面で、今までどこにいたのか高校生風の二人が抜いていく。軍手すら無いが、脚だけでなく両手もフルに使っている。後ろから見ていると、どうやら靴が滑りやすいので、そんな時は両手を着いて、まるで四足歩行のように登っていく。何一つ荷物を持っていないが、何か飲んでいるのだろうか。何か食べているのだろうか、と、つい心配になってしまう。でもまあ若いから、放っておこう。そもそも、人の心配などしている場合ではないのだ。

次はあそこまで行ったら休もう、今度はあの石まで行ったら休もう・・・そんな事を、どれだけ繰り返しただろうか。「お~い、お~い。」という声が上から聞こえてくる。誰が誰を呼んでいるのか知らないが、とりあえず上を見上げてみる。20mほど上に、群馬の黄色い帽子の少年が、こちらを見下ろしながら手を振って叫んでいた。疲労困憊した手を少しだけ振ると、はじけるような笑顔で走り降りてきた。

「50分で頂上まで上り、剣ヶ峰も行ってきましたよ!」と、嬉しそうに話している。なぜこんなオジサンに話しかけてくれるのか分からないが、人の良い好青年である。「明日もご来光を見に登るんだろ?」⇒「はい、なんとか彼女を連れて行きたいと思っています。」⇒「じゃあ、頂上で待ってるからな!」⇒「分かりました!あと少しだから、頑張って下さい!」⇒「おう!任せておけ!」⇒「じゃあ、また」そんなやり取りの後、少年は下り始めた。

「お~い、今度はディズニーランドとか、そんなところに連れて行かないとダメだぞぉ~。フラれるぞぉ~!」そう声を掛けると、ニッコリと笑いながら、小走りで駆け下りていった。あっという間に少年の姿は小さくなった。

さてと、また歩き始めるとするか。人が見たら、トボトボなのか、ヨチヨチなのか、ヨッコラセなのか、いったいどんな風に見えたのだろう。とにかく、疲労困憊しているオッサンと映ったのには、間違いない。下山者が、時折声を掛けてくれる。

「あと30分ですよ。」「もう直ぐだから、頑張って下さい。」有難いのだが、答える元気が残っていない。後ろの彼女が変わりに「ありがとうございます!」と答えてくれる。この人を大切にしなくちゃいけない!改めてそう思った。

さらに登ると、「あと40分ですよ。」と声を掛けてくれた下山者がいた。おいっ!さっきは30分だったのに、伸びたのかぁ~!とにかく、一歩ずつ登る。牛歩戦術のペースが、さらに落ちる。だが良く見ると、若さに任せた少年たち以外は、大して変わらないペースのようだ。前も後ろも、距離があまり変わらない。立ち止まるタイミングで多少離れる程度である。ここまで来ると、皆、相当に疲れているに違いない。

もう直ぐ、あと少し、そう思いながら歩いているが、時々、この上り坂が永遠に続くような気になってくる。たとえ一歩が20cmでも、確実に頂上に近づいているはずなのに、ゴールが見えないと、変な不安が襲ってくる。そんな時、後ろの彼女が、「あ~っ、鳥居が見えたよ~!」と叫んだ。顔を上げると、確かに鳥居が見える。やっとゴールが見えてきた。

午後4時20分、フラフラになりながらも、やっとの思いで御殿場口の頂上に立った。最後の階段を上がり、鳥居をくぐり、そこで見たものは・・・
高校生風の少年二人組が、オッチャン達に注意されている姿だった(笑)

「オマエら、その格好で登ってきたんか。」「なに?御殿場口から来たって?」「バイクで来たのか。早く帰らんと、暗くなるぞ。」そう言われていた少年たちだったが、オッチャン達の話が終わると、剣ヶ峰に行ってから帰ると言い残し、走り去っていった。

若さって素晴らしい!!!今日だけで、何度そう思ったことだろう。注意してくれたオッチャン達にも、そしてフラフラで立っている私たちにも、そんな頃があったのだ。笑顔で少年達の話をしている3人組のオッチャンに聞いた。「頂上富士館って、どこですか?」⇒「そこ登って1分だよ」
1分と言う言葉が、ひどく嬉しかった。言われた階段を登ると、そこに今夜の宿があった。

11:剣ヶ峰

『富士さんぽ』管理人様によると、ご来光後の剣ヶ峰は大渋滞するらしいので、少し暗くはなってきたが、今から剣ヶ峰へ行くことにした。綿密に立てたスケジュールでは、お鉢巡りもする予定であったが、スケジュールではここまで疲れている事は想定外だった。なので、お鉢巡りは次回まで取っておこう。

チェックインを済ませ、荷物を寝床に置き、早々に出発する。外に出ると、館前の広場に声を掛けやすそうな、楽しそうな雰囲気のカップルがいた。歳は、私達より一回りくらい下だろうか。「すみません。シャッターを押してもらえませんか?」すかさず女性の方が、「いいですよぉ~」すると男性が、「オマエ、チャレンジャーだなぁ~、カメラを見たのか?」と、私の一眼レフを笑いながら見た。「立つ場所とか、ちゃんと教えて下さいね。」そういう彼女に、構図を決め、立ち位置を教えた。

「じゃあ、撮りますねぇ~」カシャカシャカシャカシャ・・・連写モードになっていた。「うわぁ~、随分いっぱい撮れちゃったみたい。」⇒「デジタルだから、大丈夫ですよ。」⇒「じゃあ、もう少し撮りますね。」カシャカシャカシャカシャ・・・あっという間に、50枚くらい撮って頂いた(笑)。1枚くらい、写りの良い写真があることだろう。

「じゃあ、ウチらは、渾身の1枚でお願いしま~す。」⇒「了解!渾身の1枚ね!」ということで、男性のiphoneで、渾身の1枚を撮影して差し上げた。「これから剣ヶ峰に行くんですが、行きます?」⇒「あっ、ウチらも行こうと思ってるんですよ。その前に、火口を見ようと思って。」⇒「じゃあ、上でお待ちしてますから。」

剣ヶ峰に行く馬の背は、急で滑りやすく最後の難所、とサイトで見ているので、気を付けようと思っていたが、午後5時を過ぎた馬の背斜面には、ほとんど人影は無かった。なので、堂々と左側の手摺に掴まりながら登ることができた。

剣ヶ峰に上ると、そこには7、8人しかおらず、お互いにカメラを渡しながら、石柱と一緒に写真を取り合った。不思議と、普段はあまりしないであろう、とびっきりの笑顔に自然となった。日が落ちる前なので、残念ながら既に日陰になっていたが、良い思い出となった。スマホでも撮影し、数人に『富士山、登ったどぉ~』とラインを送った。

馬の背の下りも、登り同様人がいないので、手摺につかまりながら安全に下ることができた。ただ残念ながら、楽しいカップルとすれ違うことは無かった。

12:影富士

剣ヶ峰から降り、たった1本だけザックに入れて持ってきた『スーパードライ』を二人で飲んでいると、先ほど剣ヶ峰で会った単独登山の方が話しかけてきた。

普段は人見知りで、話しかけられる事など殆ど無いのだが、何故か今日はいろいろな人に話しかけられる。以前、友人に「話しかけるなオーラを出している!」と言われたことがあるが、きっと今日は、そんなオーラはどこかに吹き飛んでしまったに違いない。

どんな会話をしたか、あまり記憶にないが、私が飲み物とカメラだけで7キロあったことや食欲が無かったことを話すと、「シャリバテ」という、初めて聞く言葉を言っていた。きっと登山用語なのだろうが、意味は分からない。帰ったら調べてみよう。

(管理人註:『シャリバテ』とは、行動食などを十分に摂らずに登っていてガス欠(バテる)になること。「シャリ」は、銀シャリなどと同じで、白米転じて食べ物の意)

薄暗くなってきた中、これから下山するというので、「気を付けて降りてくださいね。」と言って別れて1分もしないうちに、彼は戻ってきた。「良いものが見れますよ。」と言う彼に付いて少し歩くと、そこには見事な影富士があった。つい1週間前に初めてその存在を知った影富士だ。形こそ完全ではなかったが、クッキリと富士山の形の影が、見事に下界に映っていた。

13:頂上富士館

6時過ぎに頂上富士館に戻る。なにせ7時消灯なので、時間が無い。まずは夕食のカレーを頂いた。あまり食欲がなく、申し訳なかったが半分ほど残してしまった。しかし彼女はペロッと平らげた。やっぱり女性は強いなぁ~。生命力が絶対的に違う。男が勝るのは腕力だけだ、と今さらながらに思った。

食後の一服の後、トイレに行き、持参した麦茶を飲んだら、もう消灯の10分前である。寝床は、広間に3列敷いてある布団の真ん中の列、しかも一番奥側だ。どう考えても、一旦消灯したら、朝まで2度と出られない場所だろう。1列に8組の布団が並べてあるので、出るには6人の足元を、真っ暗な中、踏まないで歩かなければならない。ライトの用意があるとはいえ、不可能に思えた。

しかも一人分の布団の面積がやけに小さい。182センチある元ラガーマンには、明らかに小さすぎる。さらに真ん中の列には、当然だが壁がない。ザックを掛ける場所も無いのだ。そこで、奥の壁に沿ってザック等の荷物を置き、一人半のスペースに二人で寝る事にした。これで明朝4時までの9時間、果たして持つのだろうか・・・。隣の方は、すでにイビキをかいている。不安である。そして7時ちょうど、消灯になった。

14:翌朝

眠れない、と思っていたが、意外と早くに眠りについたような気がした。小柄な彼女と、何とか二人で一人半のスペースに寝ていたが、やはり朝までグッスリとはいかなかった。

最初に時間が気になったのは1時過ぎだった。トイレに行きたくなったのだ。早く4時になれ、と思い、再び目を閉じた。次に時計を見た時は2時半だった。トイレに行きたいだけでなく、喉が渇いて飲み物が欲しくなった。ザックの上に置いていたペットボトルの麦茶を飲み、再び目を閉じた。

次に時計を見たのは3時半だった。もう寝られない。とにかく、4時になるのをひたすら待った。4時ぴったりに電気が点いた。彼女と一緒にトイレに行き、食堂で目覚めのタバコを吸った。やっと、長い夜が終わった。

15:ご来光

4時になると、宿泊客が続々と食堂に出てくる。4時に朝食は食べられないと思ったので、私達は朝食なしであるが、多くの方が4時から食事をしていた。4時半にはチェックアウト、つまり外に出なければならないので、食事なしとは言え、忙しい。しかし、「今日は晴れですよ。ご来光が見れますよ。」との山小屋の方の声で、テンションは上がる。

昨日の格好のまま寝たので、その上からシャツ、防寒ダウン、合羽と、持ち合わせの衣類を全て着込み、頭にライトを付けて出発である。

外に出ると、思ったほどは寒くはない。頂上富士館の裏手、剣ヶ峰側にある小高い丘に行こうと思っていたが、明るくなってきた空を見ると、今ひとつ場所的によろしくない気がした。そんな時、「こちらの方が良く見えますよ~。」と案内している声が聞こえた。「まだ時間がありますから、慌てないでくださいね~。」

どなたが誘導してくれているのかは知らないが、私達のような初登頂者にとっては、とても有難い案内であった。声に釣られて剣ヶ峰と逆側に少し歩き、小高くなっている丘を少し登ったところに腰を下ろした。ザックを下ろし、麦茶を飲み、カメラを取り出す頃には、白んだ空が赤く色付き始めた。

二人で立ち上がり、雲がどんどん赤く染まっていく様子を、無言で眺めていた。「20年以上前に富士山に登って、ご来光を見たんだよ。なんだか分からないけど、涙が自然に出てきて、お父さん、お母さん、ありがとう!って、心の中で言ってたんだよなぁ。」と言っていた近所の友人がいるが、ヤツほど若い頃に親に迷惑を掛けていなかったので、涙は出なかった。

広がる雲海の上に赤く染まった空を見ながら、「キレイだね。君みたいだよ。」と言えば良かったと、後から思った。「もうすぐだね。」、「ご来光、見られるね。」、この程度の会話しかなかった。時々カメラをのぞき、写真を撮りながら、その時を二人で待った。周囲の空気も同様な気がした。

真っ赤に染まった空から、太陽の一部が顔を覗かせた。これがご来光か・・・ちょっとだけ、神聖な気持ちになった。そして、ご来光を見つめている隣の彼女の顔を、知らないうちに見つめていた。ご来光に照らされて、うっすらと赤みがかった彼女の顔を見て、富士山に登って良かった!連れてこられて良かった!喜んでくれて良かった!素直にそう思った。

今回の初富士登山は、自分の為なんかじゃなかった。彼女にこの景色を見せるため、彼女のこの表情を見るためのものだったんだ。ご来光を見つめる彼女の表情を見ながら、自然にそう思えた。そう思うと、急に愛おしくてたまらない気持ちになった。抱きしめたくなった。でも、周りに人が多すぎるので、恥ずかしいからハグするのは止めた。

タックルとスクラムのし過ぎで、首も腰もヒザもとっくにボロボロだけれど、思っていた以上に体力も無かったけれど、彼女の清々しい表情を見ているだけで、全てが報われた気がした。

数十年かぶりに、少年だった頃の清らかな心に戻れたような気がした。さあ降りよう!早くしないと、また汚れた心に戻ってしまうから。

16:下山開始

浅間大社奥宮に寄り、無事登頂できたお礼と、無事下山できるようにお参りした。群馬の黄色い帽子の少年、連写で写真を撮ってくれた素敵なお姉さんとは、その後会えないままだった。でも、思い立って2ヵ月後には富士山の頂上に立ち、影富士もご来光も見る事が出来た。何より、大切な人を無事に頂上まで連れてこられて、彼女のはじけるような笑顔を見る事ができた。これ以上、何も望むものは無い。後は、下山するだけである。

5時50分、御殿場口登山道を下り始める。練習登山の大山でもそうだったが、とにかく下りは古傷のヒザに負担が掛かり、痛みが出る。サポーターをしているとは言うものの、体重を乗せるので仕方ない。とにかく慎重に、登りの牛歩戦術以上にゆっくりと歩くことを心がけた。

安物のトレッキングポールを持っていたので、彼女と1本ずつ手に持って下ったが、これがあるだけで随分と助かった。それにしても遅い。皆に抜かれる。

挙句には、自分の母親とそれほど変わらないであろう方にも抜かれていく。しかし、意に介さない。目的は無事に下山することであって、競争ではないのだから。もし競争なら、抜かれる前にタックルして倒すけれど・・・

時々後ろを振り返りながら、ペースの速い人を先に行かせ、とにかくゆっくりと歩を進めた。

17:赤岩八合館

そんな遅いペースでも、1時間後の6時50分には七合九勺の赤岩八合館に着いた。上出来である。ここで山小屋のスタッフの方にお願いして、昨日同様、持参した水を沸かしてもらい、コーヒーを飲んだ。インスタントだったが、格別な味がした。湯沸し代が昨日と違うのは、早朝割り増しということにしておこう。沸かしてくれるだけで、十分に有難いのだから。

朝食替わりのワッフルを食べ、少し長めに休憩した。晴れていれば素晴らしい展望だったのだろうが、生憎ガスの中で、景色を楽しむ事は出来なかった。トイレを使わせていただき、ザックの外ポケットに入れている小さめのペットボトルに、2ℓのペットボトルから麦茶と水を補充する。

ゆっくりと休憩し、ゲイターを装着した。合羽のズボンを脱ぎ、昨日話をしたラグビー少年に声をかけて、7時40分に出発する。

18:下りの牛歩戦術

自慢じゃないが、この日の御殿場口登山道の下りでは、間違いなく誰よりも遅かった。明らかに年上だろうお姉さん方の集団にも抜かれた。でも、これでいいのだ。意図してゆっくり歩いているのだから。

下り始めてしばらくすると、右膝の痛みがだんだんと大きくなってくる。自分の膝のポンコツ具合が酷くなっていることを、今さらながらに痛感する。時折立ち止まり、右足を浮かせて膝の曲げ伸ばしをして、また歩き出す。そんなことを繰り返していた。いざとなったらテーピングをしよう。

「リーチやトンプソン・ルークや大野たちも、20年後に富士山に登ったら、きっとそうやってゆっくりゆっくり下りるんだろうね。」そう彼女が言う。おそらく間違いないだろう。あれだけ激しくプレーしていれば、現役を止める頃には身体はボロボロになっているはずだから。でも、それがラグビーなんだから仕方がない。

現役を止めたら、ぜひ彼らにも登って欲しいなぁ~。でも、身体がデカ過ぎて、頂上富士館でどうやって寝るのかな・・・

そんな事を考えながら下ると、七合目に到着した。ここから下山道に入る。下山道は少し砂と砂利が深く、多くの人が小走りで駆け下りていく。この膝じゃあ到底マネできないが、見ていると楽しそうなので、彼女に勧めてみる。「皆みたいに走って行ってごらん。」⇒「えっ!いいの?」⇒「いいよ。転ばないようにね。分かれ道になっていたら、止まって待っているんだよ。」⇒「うん、分かった!」

彼女が小走りに走り下りていく。なんだか子供がハシャいでいるように見える。その姿はどんどん小さくなり、そして見えなくなった。私はと言えば、走り下りてくる下山者の邪魔にならないよう、端っこをゆっくりと一歩ずつ歩くだけだ。

しばらく行くと、彼女がニコニコしながら待っていた。「楽しかった?」⇒「うん、楽しい!」⇒「じゃあ、また走って行けばいいよ。」
そう言うと、彼女はまた走り出した。そんな事を繰り返していると、下り六合に着いた。

19:霧の宝永山

下り六合から宝永山に向かう。相変わらず霧の中で、遠くの景色は全く見えない。黄色のペンキで印の付いている岩場をトラバースして歩くと、程なくして宝永山馬の背に出る。9時ちょうどである。牛歩戦術にしては、予定通りであった。

宝永山は帰りに寄ろう、と言っていたが、視界10mでは行ってもしょうがない。ここもお鉢巡りと同様、次回に取っておこう。

10分ほど休憩して、宝永火口を下り始める。昨日、気持ち悪くなった場所だ。でも下りだと、不思議と気楽に下りていける。もちろんこの下りでも、抜かれることや先を譲ることはあっても、誰かを抜くということはない。なにせ、下りの牛歩戦術なのだから。

宝永火口底のベンチで、最後の休憩を取る。今日は土曜日のためか、昨日よりも登山者が多い。下で見ていると、皆、この登りで四苦八苦している様子が、手に取るように分かる。また、登山道に人がいると、火口の巨大さも良く分かる。何度見ても、不思議な景色だなぁ~。

さてと、宝永第一火口縁までの最後の登りが待っているので、行くとするか・・・

20:予定変更

宝永火口底のベンチから立ち上がろうとすると、目立つお揃いのジャンパーを着た数人が、手にゴミ袋を持ちやってきた。美化運動の方だろうか。ご苦労様です。

宝永第一火口縁への登りをゆっくりと登っていると、今度はおよそ山には無縁といった格好の人たちが、大挙してやってきた。きっと何かのイベントなのだろう。やはり手にはゴミ袋を持っている。今にも雨が降り出しそうな中、皆さん、ご苦労様です。

宝永第一火口縁に到着した後、計画では、管理人様お勧めの第二火口縁経由でレストハウスに戻ろうと思っていたが、視界が悪いことや思いのほか疲れている事、雨が降りそうな事を考え、富士宮口六合目経由で戻ることにした。こちらも次回までおあずけである。

21:五合目到着

雲海荘を通り過ぎ、階段や岩の段差をゆっくり下っていくと、やがてレストハウスが眼下に見えてきた。もうすぐである。ここで、登りの大群と出くわした。先頭は、いかにも山男といった風情の男性であるが、後ろに20人近くはいただろうか、女性や年配の登山者が続いていた。一人で全ての方の面倒を見ながら登頂まで導かれるのかと思うと、頭が下がる思いである。

あとはコンクリートの階段を十数段下りるだけ、と思ったら、彼女が「富士山表口五合目 標高2400M」の看板の前で足を滑らせ、尻もちをついた。最後のご愛嬌である。隣を歩く親子の小学校高学年と思われる娘さんが、それを見て笑っていた。

階段を下り、看板の前で「ばんざ~い!」と両手を上げて、初めての富士登山は、無事終わった。
(五合目レストハウス到着、10時50分)

(投稿日:2016年9月13日)

登山データ
所要時間(休憩含まず) 登り7時間10分(標準:6時間)
下り3時間30分(標準:2時間55分)
富士さんぽ管理人から一言

大作の登山レポート、ありがとうございます。まるでTAKAさんの人生を一緒に辿っているかのような臨場感ある語りに、大変読み応えがありました。

「この6番、誰だか分かるか?」

済みません、私も分かりません(^^;

しかし、奇遇ですが、私が以前やっていたフットサル(ミニサッカー)の背番号が同じ6番でした!当時、サッカー日本代表の阿部勇樹選手のチームでの背番号が6番で、阿部選手にあやかって同じ番号を選んで着けていたのです!ラグビーとサッカー、また陸上競技の違いはありますが、やっぱりスポーツっていいですよね。見るのもやるのも。

「最愛のパートナー」の喜ぶ横顔を見るためだったと気づいた富士登山。TAKAさんも少年に戻り、その横顔を見つめる。登山は人を子供のころに戻らせる不思議な力がありますね。

人見知りとおっしゃるTAKAさんが多くの人と交流されていたのも登山の不思議な力のひとつで、同じ山を抜きつ抜かれつ登っている仲間意識からか、自然と会話が生まれるような気がします。それを楽しいと思えるのであれば、きっとまた登りたくなりますよ。富士山でなくても、膝が痛くても登れる山。例えば、山頂近くまでケーブルカーやロープウェイが通っていて『楽々下山』出来る山も少なくないようです。また少年の心に戻って、旅に出ましょう!

(写真のキャプションは、管理人が勝手につけさせていただきました)

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