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LastUpdate 2016/04/28

(1,098m) 中ノ茶屋

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住所山梨県富士吉田市上吉田5601-1
営業期間 例年4月1日~11月30日
営業時間 売店休憩[4/1~10/15] 9:00~17:00
[10/16~11/30] 9:00~16:00
飲食[土日祝のみ] 11:00~14:00(売切れ次第終了)
宿泊収容人数食堂・売店のみ
トイレ使用料[屋内] 無料(営業中のみ利用可能):[洋式]
[屋外] 無料:仮設 [和式3]
その他 一時休憩無料(土日祝昼間の混雑時を除く)
無料給茶
情報提供気象・観光
歴史展示
公衆電話なし
自販機なし
※当サイトは山小屋とは無関係な個人が運営しており、上記情報は各山小屋の公式サイトや直接問い合わせするなどで得たその時点における情報であり、内容について一切保証・補償は出来ません。※営業期間、営業時間などは目安であり、天候、曜日、時期などにより変更される場合があります。

中ノ茶屋(なかのちゃや)概要

※写真は許可を得て撮影・掲載しています。値段などは撮影時から変更されている可能性があります。

中ノ茶屋は、宝永4年(1707年)創業の歴史ある休み処です。

富士山が麓から登られるのが普通であった時代から登山者の休憩所としての役割を果たし、現在十五代目となります。浅間神社と馬返の中間にあたることが名前の由来になるそうです。

麓から登る登山者の減少などにより2009年以降は休業していましたが、2012年末に富士吉田市が買い取り、2013年に営業が再開されました。

バス停・駐車場

中ノ茶屋まではバスが運行しています。駐車場も、建物の前と手前の道路左手にあります。駐車場に車を停めて、周囲の散策にも利用出来ます。

中ノ茶屋駐車場
収容台数40~50台
駐車料金無料
収容台数は、当サイト管理人による推測です
Check Point!

中ノ茶屋の由来


中ノ茶屋の由来
[2560×1695 0.8MB]

富士山吉田口登山道の山小屋 中ノ茶屋

吉田口登山道を登り始めると最初にある茶屋で、宝暦4年(1754)の文書にも「中茶屋」とでてくるように非常に古い歴史をもつ。屋主であった坂田家の伝承によれば、元々は足柄~御殿場付近で暮らしていたが、宝永4年(1707)に富士東麓で起きた宝永大噴火で被災したため、富士北麓へ避難したという。それから、ここで茶を売り始めたのが中ノ茶屋の始まりといい、現当主で15代目になる。
茶屋の名は、登山道の始まりである北口本宮冨士浅間神社と馬を降りて徒歩で登り始める馬返とのちょうど中間に位置することに由来するという。また、この辺りの地名を遊境(遊興)ということから、遊境小屋ともいう。この地名は、源頼朝が建久3年(1193)に富士山麓で巻狩をした際にここで休んだことにちなむといい、今は枯れてないが、茶屋の近くには頼朝が旗を掛けたと伝わる「旗掛松」という大木もあった。
この地は登山者の多くが立ち寄った船津胎内や吉田胎内へ行く道の起点でもあったことから、往時は山頂と胎内を目指す人で大変なにぎわいをみせたという。さらに、茶屋の周囲には富士講が建てた登山記念碑が多数あり、登山道の拠点ともいえる場所であった。
茶をつくる水は、胎内と並ぶ信仰地で富士八海の1つである泉水から汲んで、丸瀧講という富士講が慶応元年(1865)に奉納した茶釜で沸かした。また、夏山の間は、麓の家から厨子に入った食行身禄(富士講中興の祖)の木像を担ぎ上げ、茶屋内に大切にお祀りした。

平成25年7月1日 富士吉田市

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食堂・売店・休憩

中ノ茶屋では、五つの和室と一階の土間を休憩室として無料開放し、有料で和室を予約することも出来るそうです。富士山頂や5合目の気象情報や観光情報を提供するほか、吉田口登山道の歴史を伝える映像も流しています。

お茶の無料配布、軽食、土産物の販売、土・日・祝日には吉田うどんを販売するとのことです。なお、休憩所と食堂は兼用なので、土日祝日の午前11時から午後2時の間は飲食の客が優先されます。飲食の客で満員になっていれば休憩には利用出来ません。


冷やしうどん並盛
(箸は管理人のマイ箸)

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